多作であること/岡部淳太郎
けていて、いつしかその中に自然に詩(のようなもの)を書きつけていた。それが僕の詩の始まりであった。その頃の詩(のようなもの)は既に忘れてしまったし、当時つけていた日記も破棄してしまったので、いまとなってはどんなものを書いていたのか知るよしもないが、そのようにして書き始めた僕が、書くことである種の快感を得ていたとしても不思議ではない。子供の頃はそれなりのいじめを受けたこともあったし、中学に上がってからも運動神経が悪く、かといって勉強の成績が優れているわけでもない、特に誇れることもなかったゆえに、書くことがそうした心の突破口になりうると思ったとしてと不思議ではないだろう。
そのようにして、自らを救
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