釣りの考察/番田
こには。誰かと一緒に何かをするということは、稀な経験ではある、釣りという遊びを通してであっても、でも、それが僕はスポーツやバンドであったら、何も思い出には残らなかったような気がする、なぜかというと、そこには目的があるからかもしれないと思うのであって、釣り自体には、なぜか、それを感じなかったからだった。確かに魚を釣るという行為があるのだが、それが目的なのかというと、立ち止まってみても厳密にはそうではないと思っていた。例えば読書でいうところではそれは長い話を読み切るということだった。散歩は道をそこからユーターンして帰ってくることだった。料理は料理したものを口に食べさせることだった。しかし、何か目的のあるものはつまらないというふうに釣人はいつのまにか感じてそうではないものを膝を抱えて無意識のうちに選んで実行しているのだと思うのである。そんなことを考えていると日は暮れたのだった。
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