風の中の網膜の疼きを/ホロウ・シカエルボク
 

もう目覚めた気がするから、余計なものは捨てちまって構わないんじゃないか?集積場に投げ込んで、火がついて燃えていくさまを燃え尽きるまで眺めて、あとはなにもなかったみたいに生きることだってアリじゃないか…?ねえ、なにを持って人は終わりを知る、もしかしたらそれは、人生の終わりかもしれない、だけど―終わり方は様々だ、ねえ、そうだろう?生きたまま終わってしまっているやつなんて珍しくない、むしろそうしたやつらが面子のために必死になって生きるから、社会は、維持されている…そしてそれは俺には、まったく関係のないことだ、俺が欲しいのはいつだってオリジナリティーだ、自分が自分であるためのインプットとアウトプットだ
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