Free/ホロウ・シカエルボク
 
間はひとりで存在することしか出来ない生き物だ、ならば、その内にあるものを可能な限り曝した方が面白いではないか。言葉遊びをしたいならそうでなくともいいだろう。車座になって、ひとつひとつのフレーズを上げ連ねて、各々の解釈を持ち寄って文化人を気取る遊びだ。でもそんな言葉の連なり、家に帰ったら忘れてしまっているだろう。それとは目的が違うのだ。少なくともわたしは言葉を使って誰かを釣ろうとしているわけではない。

人を表現に動かすイメージの根源というのは、きっとひとつの巨大な球体のようなものだと思う。我々はそれぞれがそれぞれの手段で、その巨大なものの欠片を描こうとするのだ。それが音楽であろうと、言葉であろ
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