「わたしは、詩を書いている間、コトバの音楽をおさえつける作業をかなり意識的にしていた。 詩をコトバで書いて、活字にし、本にすることは、多かれ少なかれそういうことである。読むための詩、読まれるための詩というのは、必ずどこかでコトバの音楽に対決している。しかし、一方でたえずおさえつけたコトバの音楽の返り討ちにおびえているのである。」(「音と音楽」)