西脇詩の音楽性/藤原 実
{引用=
「パウンド、エリオットの詩は意識のながれである。西脇詩のレールも、意識のながれで、それにのっけるのは異質の要素を交互にのっけてればいい。そういうわけで、彼の詩は出来、不出来の差がない。散文もそうだ。
(中略)
彼の詩は、おなじ調子で、福原麟太郎は彼の散文をストラビンスキーの音楽みたいだといったが、えんえんとつづいてとくにクライマックスもなく、頁がなくなりました、ではさようなら、といった感じのおわり方など、もしかしたら日本におけるジャズ詩の伝統の第一歩をふみだしたものであったかもしれない。
意識のながれテクニックをつかったため、へたなニホン語で、非文法的、散文的で、つじつまがあわな
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