ポピュラー・ミュージックは文学たり得るのか?/朧月夜
ものは、何もないところに何かを作り出さなければいけない、そういったものだと言えます。近代までの文学が表現していたような、「絶望」や「悲哀」といった伝統を、私自身は文学の本質として信じ切ることは出来ませんでした。それが正しいのか、間違っているのか、それは未だに分かりません。ただ、時流にただ流されることは文学ではないし、しかも時流に流されなければ文学は文学たり得ないものでもあります。この矛盾と相克こそが、文学そのものであり、その意義なのでしょう。
「悲しみ」は文学の目標ではない。「希望」もまた文学の目標ではない。文学の目標というのは、それを越えたところにあります。「悲しみ」と「希望」とは、常に遠すぎ
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