ある秋の一日に/番田 
 
、熱が僕は入ってしまうのである。

思い出すことのない、窓の外、僕の何も考えていない日々に過ぎていく、時。近所の街に出ると、今日は、すごい人出だった。摂取を、多くの人がすでにしているのだろうけれど、それにしても多すぎた。暑くも寒くもなく、気候は、僕は散歩には丁度よい温度に思えたのだけれど。あきらめて公園に行ってみると、ガキンチョの投げた玉が飛んでくることを考えると、僕にとって、ほぼ、その光景は昼休みの校庭であって、到底くつろぐことのできなさそうな状態であるように見えた。駆け回っていたり、球技をしている人の数がそこには、多すぎたのである。

部屋でオーディオをかけると、竹の節を割ったような、非常に良い音がした。やはり少しでも乾いていないことには、木の響きは感じられない。8月はBOSEでばかり、やや演奏部分の多めな…曲ばかりを聴いていたけれど。暑いと、厚みのあるサウンドというのは、回避されがちであるような気もする。そのような、フラットなソースを、あえてかける場合に限ってなのだが。BOSEでは、女性ボーカル主体の声の表現となると、不向きな点も多いような気がさせられていた。

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