Memo. Dec. 29th. 2020/墨晶
 

 結局、多く日記や手紙のような書法に誘導されていく。つまり、採点・添削と云う大審問官の許しが必要なのだ。そんなに夏休みの宿題をこなすのが好きか?

 日常をなけなしの修辞で彩色する。
 誰かにとって意味があり、またそれが誰かによって受容される経済があり、それを媒介していたものが「人間性」だろう。いいや、ことばはそれほど優しくない。
 大審問官は「平坦で優しい人間」の生産へ帰依する。存在しないものの創造性、つまり、想像力が敵なのだ。


 「新体詩」から138年。結局、連綿と「新しい」階層(ヒエラルキー)を創り、死守しただけの歴史。


 驚きたい。手品が見たい。


 「何だかわからないもの」をデザインする。
 
 
 
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