ふちをなぞる目/道草次郎
 
俚諺は侮れない。それが紡がれるまでの路程にこそ、その智恵はある。俚諺の相貌をなでるだけなら、コペルニクスは単独飛行を成し遂げたのを無邪気に信じるようなもので、それはプトレマイオスの熟知への浅はかな侮辱でもある。俚諺を織り上げた撚り糸その一本一本を知恵たらしめているのは、背後の物語と無数の名も無き生涯。それが俚諺のしっかりとした靴である。


ある人がそこにいるという事をどうすればよいのか。賞賛では足りない。軽蔑でもない。許諾というわけでもなさそうだし、肯定というのが近いようだがそれもそうではないのかも知れない。それをどうすればよいか、それはどうすることもできないほどのもののような気もする。あ
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