Memory Trains?「切り離し」/SDGs
小倉駅に着いた。下関へは次の門司を過ぎ、海底トンネルをくぐればいい。もうすぐだ。列車が小倉駅に着く前に車内アナウンスがあった。「当列車は、次の小倉駅で門司港行きと博多行きに切り離します。前2両が門司港行き、後ろ4両が博多行きになります。お乗り間違えのないようお支度ください」。つまり小倉駅で列車は西行きと東行きに分かれるのだ。
私たちは寿司詰の車内を押分け押分け、どうにか前2両に移った。列車の切り離しが終わり、博多行きが先に出発した。「おばあちゃ〜ん」。その声は博多行きからした。「あやこ〜」「あやこ〜」。その声は私たちの乗った門司港行きからした。ふたりは博多方面に向かうはずだったのか門司港方面だったのか。それはわからないが、見事に切り離されてしまった。
昭和30年代は多くの人が限られた時間にある場所に集中し、交通インフラがそれに追いつかない時代だった。それでも人は行楽地に押し寄せ、モノクロの写真をアルバムに貼りつづけた。その頃アルバムというものは厚くなるべきものだったのだ。
戻る 編 削 Point(1)