11月1日所感(つれづれ)/道草次郎
においてでも悪意においてでもなく、その人をありのまま感じることの快さ。忘れていた感覚である。道行く人の歩き方がぜんぶ自然にそぐわないわけではないし、コスモスが風に揺れているのも清々しく感じられる。空を流れる雲の軽さ、それも伝わってくる。
こういう瞬間の到来の為にこそ滅んだ精神の廃墟があるとすれば、世界は残酷なのか慈悲深いのかよく分からない。きっと分からないのだろう。分からないことの中に分かることもあり、また、分かることの中に、ふたたび分からないことが生成してくる。その繰り返しがいつまで続くのだ。これはもはや変転を超えた一種の愛である。愛という言葉が気に入らないなら、空でもよい。或いはロックでも。そこに既にあるものをあることにおいて肯定する、それこそが宇宙の根源を成すエネルギーなのかも知れない。
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