散文三つばかり/道草次郎
 
ニール・タイソンも悪くないけれど、やっぱりカール・せーガンはスターだとも思う。120日前に許された、ほんの僅かな自分の時間の使い道はそういうものに費やされていたのだ。

ところが今は先に言った通り詩を人質にとり、目の下にくまをこしらえた銀行強盗さながら、その頭に銃口を押し付けているのだ。これは一種の堕落である前に、どうした状態変化だろうか。人間はみんな自分の来歴というものから現在の自分の状態というものを算定するが、俯瞰的な視点がこのように自身の経験という縦軸にのみ終始する場合、それはまだ浅薄な視点と言わざるを得ない。世の中という横軸をかませないと俯瞰的視点は体をなさないのだ。社会へ目を向けること。これはすなわち自身の歴史に奥行を与えることだろう。或いはそれは自身という牢獄を解き放つ鍵であるのかも知れない。

今考えていることはそれまでだ。やることをやらねばならない。考えることはもうやめる。中断だ。あまりにも自分は囚われすぎている、おそらく書くことに。焦りすぎている、何もかもに。筆をおく。



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