取り立てて書く事でもないこと/道草次郎
が容易でないことは百も承知だが、やはりそれぐらいしか方法らしい方法はない気がする。
ぼくにとって、書くことの源はたぶん世界の不当さにある。それは、半分は社会にむいているかもしれないが、もう半分はこの宇宙、つまりは森羅万象を司る何かに向けられている。宇宙が美しいからと言うだけで、その美しさを筆記したいと思う程ぼくは審美家ではないと思う。世界へ叛旗を翻すこと、それがぼくにとっての書く理由かも知れない。
とりとめもなく、また、なんのサービス精神も面白みもなく書き連ねてきたが、改めて、書くということの意味を考えている。考えることに終わりはけっして無いのだ。
そして、あらゆる問いへの答えは自分にはない。何故ならば、問うことこそが答えであり、答えというのはそれ自体が既に問いだからである。
戻る 編 削 Point(3)