洪水のあとに/道草次郎
蝶というものを間近でじっくりと観察したことがあったろうかと考えていただけだった。あれから一年が経過し、街は少しずつではあるがその力を取り戻しつつありそこを離れていた人々もまた土地に戻りつつある。
ここ一年でぼくの胸に堆積したものはなんだったか。いくつかの別れと決断と誕生が、そこにはあった。今のぼくにはまだ、こういう時に惹起される感情や、表現されるべき何事かをうまく書き表すことができていない。いつかそれを書ける日が来るのかそれとも来ずに生涯を終えるのか、それはまったくと言ってよい程に分からない。
それにより締めくくろうと目論見かけていた破壊と再生の暗示もすでに失われた。今、此処には美しい星を散りばめた夜と、まだ冷めやらぬ幾つかのほとぼりが在るばかりだ。
そして、不確かな扉の向こうにも、また新しい星々と熱とが待ちうけており、それを安んじて受け容れる他は無いのだという清潔な予感だけがあるのだった。
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