拝金主義/道草次郎
あーだこーだ言ったって月の最後に10何万かの
金が通帳に落ちてくると来ないでは違う
朝起きてする髭剃りの感触も
朝食で食べるたくあんの味も
どこかでなってる耕運機の音も
物音ひとつとっても違うものだ
そんなに大幅に違うというわけじゃない
引っかかるものが
ない分だけのほんのささいな違いだ
いや
やっぱり大きな違いかな
金に振り回されたくないのではないのだ
金のもつ魔力の上澄みだけをもらいたいという
生活のなかで養われた根性が幅をきかせているのだ
あーだこーだ言ったところで降っては来ない金
金を憎むんじゃなくて金によって憎むんだよな人は
金そのものは別にどうということはない
まるでお地蔵さんみたいだ
一日一度拝んだって罰はあたらない
こういうのを
ホントの拝金主義というのだ
戻る 編 削 Point(0)