ルート19号の幻想/道草次郎
えてきた。ごく最近では強制執行というワードが影のように背後に付きまとっていたりしている。
『15の夜』。図らずも泣いた自分が別段可笑しいとも思わない。目尻を薬指でサッと拭ってすぐさま何事もなかった事にできる。
ぼくはとてもとても長いまわり道をして来たように思う。名もないダム湖の緩やか過ぎるカーブのように、ぼくは誰よりも遅く辿り着こうとするランナーみたいだ。
ところで中間教室で僕が写すのを躊躇った文語体で書かれた『旧約聖書』の残りの部分であるが、マタイ伝だけでも良いからもう一度読み直すことはかなわないだろうか。年月は、マタイ伝が一番読みやすい事をぼくに教えてくれたから
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