某月某日 ー 詩ではなく、批評でもない、ただの言葉/石村
生したのだろう。
◎現在、日本語の《言霊》は、西欧語の語彙だけでなく音声の多彩さをも取り込んで、その表現性を進化させようとしているのかもしれない。この進化は、テキスト詩とそのリーディング(A)では表出し難い。むしろ日本語のロック、ポップスがそうした進化の媒体となった(はっぴいえんど、桑田佳祐、佐野元春らに始まる)ように見える。日本語ラップはむろん。
その意味で、現代日本に「ポエトリーリーディング」という表現ジャンルが場を形成しようとしているのは、《日本語という生き物》の表現意志・創造意欲の現れなのではあるまいか。
某月某日
集団からお墨付きが出さえすればいくらでも悪意や
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