辟易から疲弊へ/ナンモナイデス
たぶん自分は「ある」物ではなくて、「いる」者にすぎない。
いま・現れている世界は、ただ・「そう」慣れ親しんでいると、
自分の知に基づいた、ただ「そうだ」と思い込んでいるだけの世界にすぎない。
自分はなにが知りたいのであろうか…
プラトン哲学でいう【真理】であるとか、イデアなのだろうか…
これという故郷もない自分にとって、
もうすでに壊されて久しい「長屋」のことだとでもいうのか…
この世は作りものではない。だから創造神はいらない。
この世がどうやって現れているかについては、人間はまだ知らない。
たとえば戦争で敵の兵士を殺せば善である。
大河ドラマの存在事由も公共放
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