パブリックアートとしての現代詩/腰国改修
 
の小さな単位として学校を考えたとき、校歌を依頼された詩人がいたとして、それに応じて書いた彼の作品が、石碑に刻まれて校門から少し入ったあたりに設置されたとして、それはパブリックアートの一種と言えるのだろうか?対価が発生する、しないは別として。

つまり、読み手でもあり、その作品と空間、生活を共にする共有者と話し合いを重ね、作者とその作品を受け入れる側が納得する。なんてことはあるのだろうか?それは、パブリックアートとしての現代詩などというものが成り立つのだろうか?対価が発生する、しないは別として。つまり、どこかで商業的な旨みや何らかの宣伝やその他メリットがなければ、恐らく今の日本では成り立たないよ
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