パブリックアートとしての現代詩/腰国改修
 
詩作品そのものが、パブリックアートとして存在する風景は考えられるだろうか?紙に書いた詩が駅の掲示板か何かに貼り付けられている。とか、石碑に文字を刻み込んで詩が設置されているとか。数多いる詩人の中でパブリックアートとしての現代詩を成立させた人はいるのだろうか?公共の場を認めるその共有者と話し合い、その場の特性を理解して、依頼に応じて詩を作る。などということになると、詩が発注されるということにならないか?そこに対価が発生する、しないは別として。発注されて詩は書けるのか?彼女から「ねえ。あたいのためにポエミュ書いてー」と依頼されて詩は書けるのか?そのあたりも何だかなあである。

公共性というものの小
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