風景/◇レキ
 
方向や統率を取るために、生まれた隠喩は
つまりは説明の為の隠喩だ
しかしこと細かく説明すると隠喩は
ぐちゃ味噌に溶けて「それ自体」に近づいてゆく

それ自体とは説明ではない
なぜなら風景を風景と言っているだけだから(言葉が対象に溶けすぎるのだ)
詩作の肝は溶かし具合なのか
固すぎても、やわすぎても、見えない(しかし何故か、青いと見えたりもするような)

しかしそれは錯覚なのかもしれないが
方向こそが人に決める力を与え、生かしてゆく
より深い場で決めれるならば、浅いよりも生を豊かにするような

隠喩という固化させる道具は水風船の様にそれ自体を区別する
綺麗にくるくるそれ
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