気の遠くなりかたについて(山茶花オクリ讃2)/渡邉建志
 
詩から遠く離れて、みなもすなる生活というものをしてみれば、日本語は予測可能なものになっていくし、なって行かざるを得なかった。予測不能な山茶花オクリさんの詩を僕は愛し、愛しながら敬愛し、敬愛しながら敬遠し、敬遠していたら遠くなってしまった。というのは嘘で、最初からオクリさんの日本語はとんでもなく遠くにあった。遠すぎて気を失うほど。気の遠いことと気が違うことは、遠いようで近いようで、近いようで違いがある。詩人はたぶん気は違っておらず、読者である僕が勝手に気が遠くなるだけだったようだ。僕は畏敬の念を持つだけで、それこそ山のようで、そこに山があるからおののくのであって、山はただただ僕のちっぽけな理解をはね
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