ぬ/若原光彦
私の仕事は「ぬ」である。
なぜ「ぬ」が「わ」だの「た」だの「し」だの「の」だの「こ」だの「濁点」だの「と」だの「は」だの「かぎカッコ」だの使いやがるんだ、とおっしゃるかもしれないが。それは貴方にしたって同じではないか。貴方は全ての言葉を使うことができる。
何を「ぬ」ふぜいが生意気な、一緒にしてくれるんじゃないよ、とお思いだろうか。それならそれで仕方がないのだろう。私は「ぬ」である。私がいなければ、沼も、塗り絵も、ヌートリアも、アフタヌーンティーやベルヌーイ、イヌイットやカリブルヌスも存在できない。だが、それに感謝する者が果たしているか。いやしまい。それでいいのだ。私達のなりわいとはそうい
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