ジャンヌ・ダルクの築いたお城 蛸/田中修子
ったときすぐに私は腕の傷あとを見せた。それから首あとを見せた。そのうちに脚のも見せた。
それでも生きている私を、旦那は、「人間こんなになっても生きてられんだな」と、よくわからない感動を覚えたという。旦那のいいなずけは東日本大震災のとき、津波に飲まれた。漁村の網元の娘だったそうだ。一族ごといまも遺体は見つかっていない。「あのいいなずけなら、泳ぎも達者だからどっかで生きているかもしれない。たくましい子だった」というのが、「こんなからだになっても生きている子」という私にスパっと切り替えられたようだ。
それから中距離恋愛をしていたころに、「あんたんとこの活動はどうだった」とか、そういう話しをた
[次のページ]
戻る 編 削 Point(2)