またね!/もっぷ
息とともに黙り込んで、見るとなみだぐんでいる。「周子」いたわるように私はひと言ひと言を噛みしめながら、妻に語り始めた。「こんなぼくをこれまでありがとう、なにより夕陽と朝陽をほんとにありがとう」妻とは向き合う位置にいた私は妻の隣に座り直した。そして、いま愛している女性の肩を抱き寄せてから、続けるべくして言葉を続けた。
周子、ぼくが母さんからもらった最後の言葉は「また」だったよ。永遠なんてない。けれど、これからも生ある限りはかけがえのない、ぼくたちの日日を撮り続けたいし、これまでの一枚一枚には――やっと気づいたんだけど――その時の君、夕陽、朝陽への一番の願い、これでさよならではなくてまた、明日かならず、そんな途切れることのない願いが込められていたんだと思う。たとえば一歳の夕陽、たとえば五歳の朝陽、あの夏のまぶしい笑顔の君、あの冬の忘れがたい横顔の君。君たちを撮る毎回のシャッター音は単なるそれを超えてぼくの言葉「またね!」だった。だからこれからもシャッターを切る。繰り返し、「またね!」だからね、さよならではなくてと祈るような、ぼくなりの、せいいっぱいの想いとともに。
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