夢のなかに生きる/天才詩人
 
じゃないんだぜ(笑)と揶揄したくなるくらい。この記憶は、父と母の、週ごとに頻度を増す、毎週日曜日の私鉄線デパートへの外出と、軌を一つにしていた。沿線は、のどかな郊外から、保守派の政治家の大号令のもとで、高学歴、高収入を目指す核家族の殺到をさばききれず、コールセンターの回線が破裂するほど人気の、現代思想の用語で言う「郊外」へと変貌をとげていた。これら、すなわち「新武蔵野」の駅では、プラットフォームで、自動販売機のカルピスを買おうとした会社員が、ふと、電車が『到着する』ことの空無に耐えきれず、投身自殺し、朝の白い真綿のような郊外が血の海になる、という事故が頻発した。首都圏から同心円状に都心へ向かう私鉄各線は、都心に近づくほど倍加する身投げ事故のために、毎駅数分の遅れが累積したが、日本経済の勢いに、水をさすことはなかった。1980年代を通じて、タオルケットにくるまれていた僕は、無垢なまま、凪いだ海を行く船団のなかのとりわけ大きな一艘のいちばん奥の船室で、広い海に浮かんでいたのだ。

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