文学極道と国境/天才詩人
 
文学極道をめぐる今ひとつの大きな疑問は、文極は今後も戦い続けるべきなのか?ということだと思います。文学極道発生当時のとりあえずの目標は、良質な詩や散文作品をネットから発信して、紙媒体の詩壇の「権威」を相対化しつつ、「ネットの詩サイトはゴミだらけだ」という一般的な誤解を粉砕する。このあたりにあったと、僕は理解しています。

ある人は、文学極道開始12年を迎えて、この課題はすでに達成されたと発言しています。文極のトレードマークにまでなったあの「戦闘」的な姿勢はもう時代遅れのものだとも。しかしながら、私的には、ダーザインのアジテーションや檄文が文学極道のテーゼとしてワイヤードに浸透するなかで、そこに
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