「オバマ・グーグル」山田亮太/モリマサ公
令形音楽(これを聞け的な)とはあきらかに違う
集団の欲する音楽を次から次へと投下しなければそのフロアは成り立たない
すでにDJは個を離れている
今集団が何を求めなにを欲するのか
集団の欲望だけが求められてそこにDJの欲望は必要とされない
熱狂的な音楽あるいはチルする音楽
その主体は集団の中だけに存在するのだ
わたしらしさではなく世界らしさがそこに存在するのだ
でしょ?
オバマ・グーグルの文章群はオバマというワードのなかで流動的になり
やがて読む側にひとつの感情を与える
文章ひとつひとつが
それは我々個々の欲望あるいは問題となり部分的に同じ性質をおびて
我々はオバマ・グーグルの一部と部分的に重なり合ってなじんでいく
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