悲しみの透明なあり方/あおば
私の母は80歳を過ぎた頃から短歌を作り出した
はじめるには余りにも遅いよと
言いたくなるほどであったが、
それにはやはり動機はあったように思う
1. 大岡信の折々の歌を読んでは切り抜いて
赤い小さな塗り物の小箱に入れていた
日々の蓄積が書くレベルに近づいていたのかもしれない。
2. 幼馴染が何十年ぶりかで便りをよこし、それには私家版の短歌集が同封してあった。
私だってと生来の負けず嫌いに点火したであろうことは間違いない
その短歌集は何十年にも及び日々の感慨が素直に綴られており
技術に頼らぬ作り物で無いその人のそのものが表現されていたが、
しかし、決して上手では無く、母がこれ
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