適当録/百均
 
たような気がしたのだった。

僕が何かを書いて、これらに匹敵するような言葉がかけるのか?みたいな感じがした。直感でいえば、だ。(なぜそう思ったのかは色々ややこしいので割愛する。)

「なら、もう書かなければいいじゃん」といわれればそうなのだが、それで収まるなら僕は今こんな文章を書いていない。なんとなくだが、現代詩フォーラムの詩を見ていても、ネガポジは関係なしに、情感をするりとした言葉で描いている物というのは、やっぱり強いなぁと思う。それは才能なのか、技術なのか?僕は技術だと信じていたいと思っている人間だ。だって、才能だったらもう歯なんて立たないじゃないか。技術ならば習得すればいいし、もし習得できなくても、それはいつか努力すれば手に入れられるものなのだという、希望を抱くことができるし、もし手に入れることができたらそれを貶すことが出来るだろうから。

こういう発想がそもそも根暗で、理屈臭いのかもしれないが、ともかく、僕はこういう言葉達がとても恋しいし、だからこそいつか勝ちたいなと思っている。やり方は、全然わからないけど。
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