備忘録20150903/深水遊脚
か気付かないことかもしれない。聞こえない声に対する気付きは、政治家に必要な資質として求めたい。私は。服を脱がされて体に落書きされたらどういう気持ちになるか。まして当然表明した怒りも笑いで無効化されたら。本気で分からないのだろうか。
恋と愛を一緒にした呼び名、恋も愛も知らない人に好きなように解釈されて使われ続けて原型をとどめていない言葉に、そんなに未練もないかな私は。私の表現のなにかを恋愛にこじつけて批評されたら、めったに怒らない私が、もしかしたら怒るかもしれない。
恋愛が共依存ではなく、強さを活かしたまま絆を深めるように描くこともできる気がする。そうして描かれたものが恋愛と呼ばれないなら恋愛という呼び方ごとそういうものを捨ててしまえばいい気がする。
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