***** 祈り *****/元親 ミッド
 

 
 
人が何かを信じるときは
 
その根拠を探して、探して
 
そうして見つけたその根拠こそが
 
その総てだと思う。
 
いや・・・思うというよりは、思いたいものだから。 
 
 
 
それは最早「願い」。
 
 
 
どうしても避けられない現実を前にして
 
それでも生きていかなければならないとき
 
絶望を受け入れるよりも
 
人は、目を閉じて「祈る」。
 
 
 
願いが祈りとなったとき 
 
もう、そこに根拠は必要ない。
 
 
 
自らが、その先へと歩み続ける為に
 
「信じる」しかないから
 
人はただ目を閉じて、祈りを捧げる。
 
信じる行為そのものに支えられ、救われ、
 
一縷の望みを繋いでいくことで
 
生きていけることもある。
 
 
 
それが喩え己を騙しているかもしれないとしても
 
そんなことは問題ではない。
 
人は、生きていく為に祈るのだ。
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