創作と廃れ/斎藤 九
は山ほどいるが、(なんか、似た様なこと言ってたり作ってる、界隈とも呼べる存在の方々が中にはいるな)
もどきを作った自分が廃れるのである。主体性はそこには無い。
主体性を持った作品に廃れはないと思う。が、難しく掘り下げると流行りとかもあるから、流行は悪く言えば生ものであり廃れるものではあるが、その時代を生きていたという証明にはなる。
わたしの素敵なペン立ては個人の作品としては廃れてはしまうだろうが、その時代を生きていたという証明の人たちにはウケるものなのかもしれない。
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