詩は現実逃避ではない/葉leaf
 
れないのだ、などといった言説に私は明確な根拠を見出しがたい。社会に適合できる人間であっても、その社会に豊かな詩の源泉を見出す能力があり、かつそれを表現する力があれば十分優れた詩が書けるのであり、そのような強者の詩を排除すべき理由はどこにもない。実際問題として、何らかの傷を負った人間が心の叫びとして詩を書く事例は多いと思うが、特にそれほど傷を負っていない人間であっても、すぐれた感受性と表現力と推進力があれば優れた詩を書くことができるのであり、それを排斥すべき理由はない。
 現代においては誰もが容易に表現者になれる。かつては、もはや人生に表現しか残されていないような人間が表現することに縋りついたかもしれないが、現代では社会的強者でもすぐに表現に関する情報やツールを手に入れることができ、社会的強者でしか表現できないようなことを表現するようになってきている。弱者にしか語れないことがあるのと全く同様に、強者にしか語れないこともあるのである。これからの時代、詩を弱者の宝物とするのではなく、より相対化し、強者にしか表現できない作品でもって詩の領域が多様化していくことを望んでいる。

戻る   Point(3)