主体と他者 mixi日記より 2010年12月/前田ふむふむ
うな、内部であると同時に外部であるような「主体」、「他者」
を考えてみましたが、未成熟の「主体」と言っているのではありません。
これは、日本の独自のたどらざるを得なかったものだと思います。
日本にも、普遍的な存在規範は、古来なかったのだろうかと考えてみた。
あるとしたら、それは、あらゆるものを包括して、無(あるいは有)にしてしまう
八百万の思想だろう。それは、西洋に「主体」「他者」の思考とは、真逆なものである。
条件さえ整えば、その何でも許す認める思考を考えれば、
きわめて寛容なものであるが
この考えで
多くの文化人が、大政翼賛会に迎合したのは、日本人の規範に忠実であったと
言えなくもない。
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