人間の本質を露呈させるものとしての文学/yamadahifumi
 
高める為に、シェイクスピアはわざと二人の家柄をライバル同士にさせる。こうして二人の愛は、制限を課されたものとなり、従ってこの二人の愛はより高められた事となる。僕がこういう事をあげつらって言いたいのは、つまるところ、小説家とうのは、単に物語を作ったり、面白おかしいお話を作ったりする人ではないという事である。また、それは形だけ『文学っぽい』、中身のない話を書く人ではない。例えば、中村文則みたいな作家は表面的には深刻だが、それはあくまでも、これまでの文学の形を踏襲しているだけで、僕には彼が人間の本質にその作品で触れられているとは思わない。だが、ウェルベックは触れている。ミシェルウェルベックはその作品で、
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