聖徳太子/竜門勇気
は共振を伴った精神捕食を行う。
太子の言葉と私の言葉は共振を始める。私の言葉なのか、聖徳太子の言葉なのかわからない。
多分、どうでもいいほうがわたしの言葉なのだろうけども野生の聖徳太子もわたしも木の実を食い同じ小川で命をつないでいたのだ。
食べていたものが同じ生き物は物質的には同じなのだ。ただひとつ異質なクオリアを食べる生命存在。それが聖徳太子。
捕食が終わる。静寂が恐ろしい。やかましくなっていた思考の風がやんでしまった。
戻らなくては。山を降りなければ。人間でいられなくなってしまう。
濡れた枯れ葉をかかとで蹴りあげて逃げ出す私の背中にあざ笑うような緩んだ弦が鳴らされた。
何
[次のページ]
戻る 編 削 Point(0)