【HHM2参加作品】絶対的矛盾としての馬野幹について/大覚アキラ
やがてせかいはきみのようになる
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一読して、ぶん殴られるぐらいの強烈さだ。一番ぎらぎらしていた頃の吉増剛三でさえ、裸足で逃げ出すぐらいの強烈さがある。「マントル」が、マンショントルコのマントルでも、マントル対流のマントルでも、そんなものはもはやどちらでもいい。この作品に限らず、馬野幹の書くものの殆どは、まさに「書いてしまったものが詩だった」という、それだ。
人間は生きていく上で、矛盾を解消したり、矛盾を乗り越えることに腐心し続ける。それこそが、あたかも人生の目的であるかのような錯覚さえ抱きがちだ。そして、多くの場合、その矛盾から目を背けて生きることで、自分のテリトリーを守ろ
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