HHM2開催に寄せて 過去の批評祭作品レビュー/深水遊脚
 
んが魅力的にこの言葉を使っていること、ひらがなで書かれているのでやわらかく自然な感じで読むひとのなかに入ってくること、それもある。でも批評の書き手が、「つめたい」の語感を確かめて、愛読する詩というひとつの空間のなかで、試着するようにそれを確かめているからかもしれない。愛着のあるものを語れば、知らないうちになにかの欠片が散りばめられるのだと思う。


「客観描写ということ(高浜虚子)」 古月 批評祭 4

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古月氏が想定するこの作品の読者はごく限られる。その限られた読者に対して、高浜虚子
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