詩の構造について 詩と向き合う/葉leaf
 
が耳もとをかすめる」場所なのか、判然としません。ここの構造も客観性が弱いものであり、読者の批評眼が試されます。ですが、このように構造認識がかなり難しい場面においては、むしろ構造の不安定さが際立ち、その不安定さが読者を幻惑するレトリックとして機能しています。構造の不安定さはレトリックとして、テクストをより詩的にします。
 詩の構造の認識は、「良い/悪い」「うまい/へた」「面白い/つまらない」といった評価に比べて、ずっと中立的な詩の認識の仕方です。ですが、詩の構造の認識は、価値において中立的であるからといって、必ずしも客観的であるとは限りません。上で見たとおり、詩の構造のとらえ方には客観的なものもあれば主観的なものもあります。そして、主観的な構造認識が展開されるフィールドにおいて、より良い批評が生まれたり、テクストの「詩らしさ」が高まったりします。詩を読むときは、ぜひその構造にも注意して読んでみて下さい。


戻る   Point(8)