「関係のない舟」/宇野康平
 
渇いた水平線を望むとき、心は無風であった。出港を告げる汽笛が
鳴る朝、母は死んだ。小刻みに震える手を抑え、器から水は溢れて
袖を汚した。

街の商船の出港に沸く騒ぎに片耳を塞いで、昨日の残り物のチーズ
を口に運ぶ。棚の上の、母の写真を手に取り、椅子に腰掛けながら
昔の静かで、悲しい歌を鼻歌で歌う。母が好きで、よく歌っていた
歌だ。しばらくして、半ば壊れたラジオのボタンを捻る。いつもと
様子が違い、大声で長く続いた戦争が終わったと言っている。外の
大騒ぎはどうやらそのことらしい。

外を見ると、大小の国旗が人と共に動いている。それは、帆を幾重
にも重ねた商船の群れにも見えた。商船は好きになれない。隣家の
犬が吠えている。

汽笛の音と同時に、電話が鳴る。電話から友人が興奮した声で、勝
戦のパレードに共に参加することを勧める。

私には関係のない舟だ。そう言って、電話を切った。


《劣の足掻きより:http://mi-ni-ma-lism.seesaa.net/
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