マカロニも無エ!/ツ
んかんぷんゆってるし、、)、そもそもPerfumeとイクゾーでは、ジェネレーションのギャップはもちろんのこと、ヘタすればことばも通じないほどにお互いのズレや食い違いがハゲし過ぎるんだけれど、、そして、けっ局、両者は最後まで通じ合うことなくズレや食い違いはそのままに、音楽的に一つの柔らかく暖かいカンケー性として描き出されているという点にこそ希望がある。
『マカロニも無エ』は距離感の歌だ。
Perfumeが、イクゾーとの淡いカンケー性(「手をつないで歩く」からといってイクゾーが、恋人なのか、マブダチなのか、ナンなのかわからない、、)を、お互いの距離感をうたった歌だ。
「これくらいのかんじで たぶんちょうどいいよね」
「わからないことだらけ でもあんしんできるの」
そしてこの距離感を僕は知っている。これはチンパンジーや系外惑星でのアメーバ型の知的生命体との邂逅でもあり、そして、それはちょうど誰かと話したかった月曜深夜の、その「誰か」と「わたし」のあいだの距離感だ。 終
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