一方井亜稀詩集『疾走光』について/葉leaf
 

通らなかったであろうか
       (「川端にて」)

 物語の体裁を整えた歴史というものは、「それが何であるか」を明らかにするものとして発されてきた。それは典型的には国家の歴史であり、その国家がどういうものであるかを明らかにし、その国家のまとまり・同一性を作り上げ、さらにはその国家の正当性・正統性を主張するものであった。同じように個人の歴史というものも、その個人が何者であるかを明らかにし、その個人の自我の確立に不可欠のものとなっている。だが一方井の詩がそのような公的な自我を説明するものではないことは明らかである。一方井の詩を読んでも、彼女の素性や経歴がわかるわけでもない。詩は、公的
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