日々の麺麭  /服部 剛
 
目の前に、焼きたての 
丸い麺麭(ぱん)がある。    

何の変哲もないその麺麭は 
その少し凹んだ丸みは 
その味わいは、きっと 
世界の何処にもない
たった一つの麺麭である。  

「人は、見える麺麭のみに生きるにあらず 
 目に見えぬ麺麭、によって生きる   」 

そんな不思議な声が 
背後に囁いている気がして、僕は 
何の変哲もない今日の日が 
世界の何処にもない一日だったか? 
齧(かじ)った麺麭を味わいながら、考える―― 

数日前に中年の父親を亡くして 
仕事を休んだシングルマザーの同僚に 
友情の手紙を書いた日の、夕の食卓。  

空(から)になった皿の上には 
少し凹んだ丸みで 
虚ろに透けた、麺麭がある。  






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