ジャズ喫茶/ヒヤシンス
その重たい扉の向こうにはあらゆる人生が生きている。
その人生を見ようと見まいと全ては自分の意思に委ねられている。
ふと足を止めるが答えは最初から決まっている。
私はその重い扉をゆっくりと開ける。
普段の生活の中では絶対に得られないような音の臨場感に圧倒される。
それは私の求めていたもの。
店内に息づいている人生は無限だが、今、現実の人生を背負っている者は
みなうつむいて各々のそれと対峙しながら音の洪水に身を浸している。
洒落た紳士が私に近づき、水と共に人生がひしめくファイルを差し出す。
私は珈琲を注文する。彼は言う。あなたは一杯の珈琲を注文されました、
だからこの中から人生の一曲を選ぶ権利があるのです。
私は緊張しながら感動していた。なんて粋な事をさらりと言うのだろう。
その紳士の顔や全ての皮膚に刻まれた皺こそが人生そのものだと思った。
人生の未熟者であった私はその時やみくもにビル・エヴァンスを選んだ。
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