セミ/兎田 岳
 
と名付けた。

「無惨なセミ」に関して、依ってヒトは何の認識も持たない。ヒトである私から言わせるとセミは滑稽に生まれ、滑稽に泣き、滑稽に死ぬ。当然に、唐突に死ぬ。それがヒトにとってのセミであるから何の認識も持たない。

しかしひとたび記憶を有してしまうと、これ以降は不運にも記憶を備え付けられて生まれ出た生物をヒトと呼ぶ事にするが、ヒトは自分と何ら接点のないヒトの死を哀れむ。記憶があるから文明があり、義務が生じ、娯楽が生まれ、死後の世界や宇宙の果てに思いを馳せながら生きる。依ってそのようなセミにしてみれば奇想天外な感情が生じる。ヒトの一生はもはや暇つぶし以外のなにものでもない。暇つぶしで争い
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