atsuchan69「首のないM」について/春日線香
 
「ボク」に従順であること、性の道具であり続けることが、表現といえばいえます。

二連、三連は二人の情事と関係性が重ねて表現されます。ここで「M」は意思することを剥奪されたただの記号です。記号でしかない「M」は行為による陵辱の他にも表現の陵辱を受けており、「ボク」はひたすら沈黙を貫く「M」を抱きながら、「ビーチ」云々とエロティックな比喩を繰り出してひとりよがりの欲望をぶつけます。「M」が意思を持っているなら「水のない距離と時間のなかで永遠とは苦痛に等しかった」なんて言われたら「なにいっとるんやおまえ」とツッコミを入れるところです。ですが「M」はそれでも沈黙を続け、「ボク」も得体のしれない「M」に
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