山田亮太詩集『ジャイアントフィールド』について/葉leaf
、様々な差異が組み込まれていたりはする。それでも、やはり同じ言葉は同じ言葉なのだ。この同じ言葉の増殖に、何か不穏なものを感じないだろうか。ここでは、「雪だるま」という言葉が繰り返されている。それぞれの「雪だるま」の意味は当然違うだろう。しかし、「雪だるま」という衣装によって、それぞれの偏移は常に修正されているように思えないだろうか。つまり、詩の展開、世界の動的開示、それに逆らうように、「やっぱり雪だるまなのだ」という同定作業が延々と続いていかないだろうか。これは、シニフィアンとシニフィエを分離すれば済むという話ではない。シニフィアンは繰り返されるけれどシニフィエはその都度異なるなどという話をしてい
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