山田亮太詩集『ジャイアントフィールド』について/葉leaf
であり、そこにおいて詩人は忘我の境地にいたれる。
山田の詩は、言語によってシャープにイメージを区切り取り、また不整合な空間を生み出すことで、現実世界の連続性を破っている。その意味で不連続である。だが、自らの想像力の自在な奔出に身を任せ、そこに自らを惜しみなく費やしていくという意味で連続的である。さて、ここに彼の詩の両義性が見て取れるのではないだろうか。山田の詩は連続的であると同時に非連続的でもある。しかも、そのどちらのとらえ方も間違ってはいず、優劣がつけられない。
バス停から歩くこと五メートルの地点に雪だるまは立っていた。街灯は雪だるまを唯一無二の雪だるまであるかのように照らし出していた
[次のページ]
戻る 編 削 Point(9)